山本弘『闇が落ちる前に、もう一度』
山本弘はファンタジー・SF・ミステリー・ホラー作家にして、と学会の会長と幅広いジャンルを股にかけて活躍しています。私の好きな作家の一人です。グループ SNE からの独立後は、本格的な SF 作品をリリースしていて、ますます注目を集めてきています。
私が山本弘作品を追いかけるようになったのはサーラの冒険だったか、ソードワールドリプレイ集だったか、はたまた『時の果てのフェブラリー』かは忘れましたが、15年以上前のこと。自分で書いていて歳を取るのが早すぎて恐ろしいと感じます。
さて山本弘は近年ハードカバーの単行本が多く、お財布に優しくないので(笑)控えていました。最近になってハードカバーの『審判の日』が改題され、『闇が落ちる前に、もう一度』というタイトルで文庫化されたので読んでみました。
本書は5編からなる短編集で、ハード SF とホラーの中間をいく作品群です。それぞれの作品にストーリーに関連性はありません。と学会では笑いの対象となっている超常現象やオカルト的なものも、小説の中では時に事実として描かれています。
登場人物の男性(主人公のケースが多い)は理工系の知識があり極めて科学的な思考・推論をし、ある時に世界が崩壊するような事実に気付く、という点で共通しています。いままで確固たるものとして存在すると考えていたこの世界が、実は思っていたものと違っていたことに気付き愕然とさせられるという部分が肝です。これらの男性のモデルはおそらく著者自身であり、著者の過去の姿の投影だと思います。
ホラーの要素としては未知なる物に対する恐怖も描かれてはいますが、実に世界観の喪失・崩壊(の疑似体験)によるところが大きいです。私は物理が専攻なのでこの感覚は非常にぴったり来るので、こここが面白いと感じますが、文系の人や物理が苦手な人はどう感じるのでしょうか。
表題作『闇が落ちる前に、もう一度』は、ビッグバン宇宙論を題材にしたショートSF。世界の始まりと終わりを模索する宇宙論は100数十億年という長い時間を対象とするので、自分の人生とかけ離れて考えがちです。しかし世界の終わりがまもなく来るとしたら、それはすなわち自分の死を意味します。『屋上にいるもの』は純粋にホラーの要素が強い作品。
『時分割の地獄』では、著者は心はどこから生まれるのかを考えさせられる作品。高度に人体をシミュレーションするコンピュータに心は生まれるのか。古くからの題材ではありますが、そこに小説の主人公の心はどこにあるのかという問いを絡めた作品。ここでも心の存在と死に対する恐怖が不可分で描かれています。
『夜の顔』は表面的にはホラーですが、SF 的な考察により組み立てられています。この世界は自分の見えている部分しか存在しないのではないか、という空想は私も考えたことがあります。世界の存在と自己の存在というのは切り離せない関係ではないか、とこれを読みながら再度考えてしまいました。
主人公は人生の目的に目を向け、人生に意味などないのではないかと考えるところから、夜の顔を見てしまう。夜の顔とは気付いてはいけないタブーの象徴みたいなものとして描かれているのだと思います。ラストがとくに残念なのですが、死から目を背けて生きていても、自分は必ず死ぬときがくるのだということを忘れてはなりません。
『審判の日』は、これも SF としては良く使われるネタである「人間が消滅して無人になった都市」というテーマに対する山本弘からの回答です。似たようなテーマで私が面白いと思うのは北村薫の『ターン』ですね。本作が一番エンターテイメントとして作品。
本書は『神は沈黙せず』を読む前に山本弘はどういう作家なのかという雰囲気を知るにはぴったりの短編集です。興味を持たれた方はソードワールドなどのファンタジー方面の作品にも触れて、山本弘の広い世界を味わって貰いたいと思います。
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